1.はじめ
Twitterのタイムラインでまた例の教科書の話が上がりました。
例えば「ご飯を炊く」という目的に対して「フライパンでご飯を炊くのが腕の見せ所」と言っている人がいたとして、炊飯器を使わない理由が実は「炊飯器を買うお金がない」ではなく「昔からずっとフライパンでご飯を炊いていた」とか「炊飯器の操作を覚えるのがめんどくさい」だったりするわけだ。
— 磯村一弘 ISOMURA,Kazuhiro (@Honigon3D) December 2, 2020
磯村先生のこれらのツイート(上記ツイートの後にも続いています)は、「会話力向上を目指してて、なんで『みんなの日本語』使うの?学習目的とそのテキストの目的がそもそも違うんだから、効率悪くなるし、大変になるに決まってるじゃん。だったら会話力向上を目的にしてるテキストを最初から使えばいいよね」ということを比喩してます。
2.逆の視点
『いろどり』を『みんなの日本語』の本来の目的通りに使用するとしたら、何をする必要がありますか。
・語彙、文型の抽出
・文型提出順の並び替え
・例文提示(例)
・活用提示(練習A)
・問題作成(練習B, C)
抜けているところがあるかもしれませんが、とりあえず思いつくだけ挙げてみました。明らかに大変なことが分かりますね。だったら『みんなの日本語』使えば?ってなりませんか。
『みんなの日本語』を使って、会話力を向上させる授業を一から作るということは、まさにこの逆のことです。
3,大変な理由
1:目的に沿わないテキストを使ってるから
2:教師が1から10まで教えようとしてるから
3:授業準備だけに限らず、そもそも作業効率が悪いから
ただ日本語教師の中には、学校が指定しているから等の理由で不可抗力的に『みんなの日本語』の使用を強いられている先生方もいると思います。
今日は「2:教師が1から10まで教えようとしてるから」を中心に書いていきます。
4.私はどうか
テキスト:『みんなの日本語』
→学校として『みんなの日本語』を使用。ただし他講師、他クラスとの進度と比較して分かるようにしておかないといけないので、教師として参考にするのは目次(文型の提出順)のみ。
目的:JLPT合格、会話力向上
→学校としては「会話力」にかなり力を入れている。むしろそれはフィリピンにある他の日本語学校との差別化を図り、学校としての強みでもある。
説明は最低限にして、教師が最小労力でできる活動を行う
「説明は最低限」
授業準備が大変って言っている方って、きっと導入部分をどうするか、どうやって説明したら分かりやすいか等を考えることに大変と言ってるのかなと思います。私も「教師が全部教える」がマインドだった時は、とても苦労したのを覚えています。
「説明を理解する」だったら、極論になりますが、母国語(自分が一番理解できる言語)で説明されるのが100%良いに決まってます(特に初級は)。具体例を出してみましょう。
See: to become aware of somebody/something by using your eyes
Look: to turn your eyes in a particular direction.
Watch: to look at somebody/something for a time, paying attention to what happens
See:(視覚に入っていて)見る(日本語にすると「見える」に近い)
Look:(意識して)見る
Watch: (注意を払って、一定の間)見る
日本語を母語とする日本人(英語が全然分からない人は特に)にとっては、日本語の方が、読もうとする気力も高く、分かりやすいと思います。この英語の説明をどう分かりやすくしても、きっと日本語の説明があれば、日本語の説明を読むと思います。
では英語での説明しか提示されなくて、理解できなかった時はどうしますか。私なら日本語の説明を求めてググります。
それを最初から教室でやってもらうのはどうでしょうか。というかむしろ、教室外で事前学習としてやってもらうのはどうでしょう。(反転授業的な)
『みんなの日本語』の場合、各言語で解説書が出ているので、それを使うのもありだと思います。
「説明を理解する」という目的に忠実にのっとるのであれば、上記でも挙げたように、もっと楽に、そして的確にする方法はいくらでもあると思います。
「最小労力でできる活動」
・スピーチ
・Flipgridなどのビデオ投稿サービスを使用 等
こういう活動であれば教師がやることは基本的に指示のみです。最初から完成形を目指そうとすると説明も細かくなり(=準備がより大変になる)、活動もかなり縛られたものになります。そして結果準備が大変になるという…。
そもそも会話力向上を目指すのであれば、何を話すか、どのように話すか等は限りなく自由度を高くするべきです。自由度が高くなればなるほど、教師の負担も減り、会話力向上に寄与します。(もちろんただ話してもらうだけではなく、適切な時に適切なフィードバックは必要です)
どう教えても絶対誤用は出てくるし、むしろ誤用が産出されることは言語学習においてはなんら不自然なことではないです。むしろ誤用を活かすべきだと思います。学習者の母語が同じ場合、同じ理由で同じような誤用をする可能性が高いので、教えるときにも効率が良いですし、的確です。
最初から完成形を目指そうと思って、自分で誤用を先に考える時間を割いているなら、今すぐやめたほうがいいと思います。(ある誤用がとんでもない誤認を引き起こす場合は先に提示するべきですが)
5.まとめ
授業準備が大変って言っている先生はおそらく説明(導入)部分で使う例文、場面設定、提示方法に苦労しているのでは?
→導入部分では理解できればいいので、一番効率が良い方法で。目的に合ったテキストを使うもよし、学習者に調べてもらうのもよし。寸劇や写真を見せることが目的にならないように。
①多国籍(母国語が違う学習者)が揃っている場合は同じ媒介語を使えないけどどうするの?②学習者の母国語で検索結果が出なかったらどうするの?
→①Googleの出番。各自自分たちの母国語(理解できる別の言語)で調べてもらう。
②分かる学習者が媒介語(日本語)で教えれば良い(協働作業)。もし難しそうなら、先生がその学習者に個人的に教える(必要な時に、必要な人に的確にサポート)
準備が大変って言っている人には、テキストをどれにするの前に「教師が全部教える」という感覚が根強く残っているのかもしれません。思い切って学習者に任せることは大事だと思います。基本的に学びは与えられるものではなく、自ら獲得するものだと考えています。すなわち教師の仕事は、学習者自ら学びを獲得できる環境を提供し、サポートすることです。全部教えようとすると、準備が大変になるのは当たり前のことです。テキストも教師がやるべきことをサポートしてくれるツールなので、そのマインドセットと併せて目的に合ったテキストを選び、使用していくことが必要な教師力だと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます🙇♂️
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