1.はじめ
今はほぼ日本語教師として仕事をしていますが、一応英語の教員免許(中高)も持っています(笑)。というか、元々は中高で先生をやりたいと思って、教員免許を取得するために大学に進学しました。大学3年生の履修登録時に、その当時持っていた単位+αで日本語教育副専攻が取れることを知って、日本語教育関連の科目を履修したのがきっかけで今日本語の先生をやってます。ちなみに今週の金曜日、その科目でお世話になった先生の授業で、日本語教師を目指す学生向けに特別授業をします。
2.「学校に行く意味ないじゃん」と言われた経緯
3年生(来年教育実習行く学年)と4年生(教育実習をすでに終えた学年)が合同でやるクラスがありました。そのクラスでは、4年生たちが3年生たちの模擬授業を見てコメントします。私より先にやった同級生の模擬授業、先輩たちのコメントを見ていて、「まじ公開処刑じゃん」みたいな・・・汗
同級生たちはいたって可もなく不可もない授業をやっていたのですが、「そんな言う??」って思ったのが当時の正直な印象です。私はそういうのウェルカムなので、私の時はみんな何て言うのかとても楽しみにしていたのを覚えています。
いよいよ私の順番が来ました。私は当時から自分が受けてきた従来の教育(知識伝達型)は絶対に自分の授業ではやりたくなかったので、当時の完成度は相当低かったと思いますが、反転授業的なことをやりました。
「宿題としてやっているので今日出てくる新出単語や内容、知識は一通り理解しているという設定でスタートします」と先輩たちに伝え、模擬授業ではその学習してきた内容を展開する(口頭練習とかロールプレイとか)という感じの模擬授業をやりました。
模擬授業を終えて、とある先輩に言われたのが、
この授業学校に行く意味ないじゃん
真意は今でも分かりませんし、これは私の一方的な印象ですが、言ったタイミング、言い方、表情等々から、自分が受けてきたことのない(知らない)やり方を受け入れたくなくてまずそれ言ったんだろうな〜と思いました。当時感情的に反論した気がします(大人げないですね)。先生になるために教育にはかなり熱を持って勉強してきたと自負していたので、そのような物言いをされてすごい腹が立ちました。というか完全にその先輩の勉強不足でしょ!!??みたいな。
3.なぜ先輩は言ったのか
予想するにきっと、「宿題としてやっているので今日出てくる新出単語や内容、知識は一通り理解している」という従来教室内でやることを、授業外でやる、というのにツッコんだんでしょう。
それがその先輩の考える学校でやるべき授業だとしたら、全部Googleで調べられる(というかGoogleの方が知識量は膨大)から先生の存在自体否定することになりますけどね。。。
学校=知識伝達の場所っていう考え方は、今のように情報が簡単に共有されない時代の考え方で、それを2017年(当時)もやるの??って感じでした。
4.まとめ
教職課程を修了して3年しか経っていませんが、おそらく今の教職課程でも学校=知識伝達の場という風に養成されているのではないでしょうか。きっと理論では説明しますが、実践として評価される(されやすい)のは、そのようなタイプの授業でしょう。
教育実習に行っても、新しいことを拒む(挑戦しない)指導教官や実習先の教員も少なくは無いと思うので、結果矯正される気がします(私の指導教官は幸い何でも自由にやらせてくれました。本当に感謝です)。
もう少し自由に挑戦させてくれるチャンスがあれば、私も日本で教員をやってみたいな〜と思ったのですが多分無理です。。。
進化するために変革するときリスクはつきものですが、変わらないでいる方が後々もっと危険な気がします。というか進化するための変革(+)の時に伴うのはリスク(ー)ではなくて、先行投資だと思えばいいのではないでしょうか?だって宣伝(+)するために広告費を使う(ー)ことはリスク(デメリット)とは言わないですよね。
もちろん日本の学校教育で活躍されている素晴らしい先生もたくさんいらっしゃいますし、現在私立の高校で英語教員をやっている私の同級生も、昨月の #日本語教師ブッククラブ の本だった『教えない授業の始め方』に彼の授業が掲載されています。
挑戦する教員たちがもっと増えてくれればな〜と勝手に外側から見てます(笑)
最後まで読んでいただき、ありがとうございます🙇♂️
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